初めてスニッカーズという単語を聞いた時スニーカーを履いている集団の事かと思いました。
どうも。
今日は家で本を読んでいました。
本は読んでて損は無いですね。様々な語彙が頭の中に入ってきます。
そうして語彙をたくさん吸収する事で日常で使う会話から仕事で使う話し方に箔がつくと思っています。
それで思うのですが、日本語は語彙が多く表現が豊かです。
これは日本の文学者や読者にとっても非常に幸せであると言えます。英語ならばIとしか言えないところを、日本では「私、あたし、僕、おれ」など存在し他にもたくさんの中から適したものを選ぶ事が出来ます。
なので日本語を韓国語に翻訳するときは非常に苦労します。日本語にあって韓国語に無い語彙というのはよく存在します。まぁそれは逆も然りです。しかし、圧倒的に日本語の方が語彙が多いと感じますね。
それから以前宿舎に住んでいた時フランス語学科の友人から聞いた話ですが、フランス語には「浅い」にあたる言葉がなく、「浅くない」と言わず「深くない」と言うそうな。また、「高価だ」という言葉はあっても「安価だ」という言葉は無く「高価でない」と言うそうです。非常に興味深かったです。
しかし、語彙が多いのは先進国より後進民族に多いと言われています。
『未開社会の思惟』という本には南アフリカのある部族は各種の雨(多分スコールだったりにわか雨だったり)にはそれぞれ名前が存在し、また各種の地形(谷地や盆地など)や草木の種類どれをとっても名前を持たない物は存在しないという。
また『野生の思考』という本には、フィリピンに住むとある民族は数百種類以上あるいは千種に及ぶ動植物の名称を言う事が出来るという。特に男はたいてい言えるそうだ。まぁ、男は狩猟を行い食料を確保しなければならないのでこの部族では当然かもしれない。
それでは日本は後進民族なのか?と言われるとそうではない。
なぜなら未開人の言語には広い意味の言葉が少ないのだという。狭い意味での言葉はたくさんあるが、それらを統括する広い意味の言葉が非常に不足しているのだという。例えばタスマニアの部族で例を挙げるとたくさんの種類のゴムの木には名前がそれぞれあるものの「木」という一般的な意味を表す単語は無いのだとか。
またアメリカのインディアンの言語の一つにチェロキー語があるがたとえば「髪を洗う」「顔を洗う」「私の服を洗う」などの言葉がそれぞれ存在するが「洗う」という広い意味の言葉が無く、これらの事は未開人の多くの言語に見られるそうだ。
そう考えると日本語はそれぞれの欠点を補っているような気がします。
というより日本語には抽象的な表現が多いと見受けられます。それは中国から漢字が入ってきたというのもあり、明治時代にヨーロッパやアメリカの文化に接した時に感じを上手く組み合わせ様々な抽象的な意味の言葉をたくさん作ったと自分は思います。
そうした結果今日日本語で書かれた本を読んで「あぁ〜語彙が多くてマジ楽しいわw」と感じるのも先人達がこうして日本語の語彙を豊かにしてくれたからだと感じます。
そういえばドイツ語を習った時便利だなと思う事がドイツ語は単語と単語の関係が有機的に出来てて、一つでも単語を理解するとそれに関連する単語の意味が理解できるという事です。
有名な単語で説明するとドイツ語で「仕事」はArbeitといいますがそこにer(erをつけると「人」を表します)をくっつけるとArbeiterとなり意味は「働く人」となります。日本語で言うなら「労働者」というのが正しいと思います。また、enをつけるとArbeitenとなり意味は「仕事をする」になります。
これは正直羨ましい所があります。
いわゆる芋づる式ですね。
んで、結局何がいいたいのかというと
語彙の多い日本語最高(^^)/
です。
今からさっき書いた内容をレポートに書いてみます。
とりあえずがんばります。
ではまた。