ささやかなブログ

写真を撮るのが好きな青年の日記。Canon EOS 6D Nikon F3HP FM10 FUJIFILM X-M1を愛用。

プレゼンテーション

 

ども。

 

今日は授業でプレゼンテーションをしました。

 

僕の発表したプレゼンテーションの内容は「平安時代の結婚形態」でした。

 

 

 

おそらく結婚から非常に遠ざかっているであろう自分が何故こんな内容を...と思ったのですが頑張って資料を探してプレゼンを作りました。

 

 

主に貴族の結婚形態を調べ発表しましたが、非常に驚く内容ばかりでどう要約すればいいか悩みました。

 

というのも法律で男は15歳、女は13歳以上になってから結婚すること。と決められており実際男は17~18歳で女性は13歳で結婚していました。

 

ロリコンじゃねーか。と思ったのですが当時病や仏教思想による食べ物のルールが厳格過ぎて栄養状態が良くなくて、平均年齢は男性30歳前半で女性は20歳後半だったそうなのでまあ妥当な数字なのかなと納得しました。

 

発表の際は「ロリコン」という単語は使わず早婚だと言いました。

 

次に出会いですが女性は外へ出る事はほとんど無く顔を見せたら結婚を許すという意味を持っていたので扇子や屏風やすだれで姿を見せないようにしていたそうです。

なので女性の家に仕える召使いや女性の親や兄がどことなく噂を流すそうです。例えば「○○の姫はたいそう美しいらしい」みたいな噂を流せば男は群がったそうな。

 

当時の美人の基準はぽっちゃり、髪が黒く長い、声が美しい、教養がある女性が好まれていました。

 

そして女性はたくさん集まった候補者の中から将来有望か、財産はあるのか、人柄はどうなのか、と吟味して選んだと言われています。

選び放題かぁ。僕もお姉さん達に「結婚して!」と群がられたらそれだけで幸せです。出来ることならお姉さん達を集めてミスお姉さん!みたいな大会を開いて誰が一番いいかいろいろ審査したいです。もちろん水着審査も。

 

しかし、結婚には両親、兄弟、祖父祖母の許しが無いと行けなかったそうなので自由は無かったそうです。大体は親が決めていたそうです。

 

こうして相手が決まったら男は女性に恋文(歌)を送ります。

 

今で言うならラブレターに近い物でしょうか。

僕もラブレターなら貰った事があります。僕の前の出席順の田中君宛でしたが。(僕の名字はチェ)

 

女性はそれに対し返事を返します。

 

その後男性は女性の家を訪ねます。そこで一晩過ごし翌朝に「後朝の文」を送るそうです。

こうして三日女性の家に通うと三日目の朝に結婚披露宴である宴「所顕(ところあらはし)」が女性の親によって行われて結婚成立。

 

夫は妻の家に住んだり通ったりして数ヶ月から数年以内に改めて妻を夫の家に迎えるそうです。

 

簡単に要約すると「できちゃった結婚」を前提としたみたいです。

 

 

当時は朝廷に婚姻届を出すような事は無かったので、子供が出来れば結婚したという証にはなりますしわかりやすくていいかもしれませんね。跡継ぎも産まれますし。

 

 

しかし安心は出来ません。当時は一夫多妻制でした。正妻は一人と決められていましたが妾が気に入ればそれまで。離婚も実に簡単で妻の元に通わなくなれば結婚生活終了でした。

 

 

また正妻の座を巡って女性達の醜い争いがあったそうです。詳しく書かなくても何となくわかると思うので書きません。女性は怖いという事ぐらい皆知っていますから。

 

 

そう考えると自由恋愛が出来て好きな相手と結婚が可能な現代は幸せかもしれませんが、現代は現代で女性は相手の人柄や年収を見たり男は容姿を見たりと今も昔もあまり変わらずあっさり降られる事も多いので昔以上に大変な気もします。

 

 

現代人も昔の貴族達も結婚するまでに多くの苦労を費やしている事がわかり改めて独身貴族が賢い選択なのではないかなぁ〜

 

なんて思うようになってしまいました。

 

 

 

 

 

はい。

 

 

 

全ての夫婦に幸あれ。

 

 

 

ではまた。